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昭和60年3月31日。さよなら万字線乗車証明書の件

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北海道には特別な思い入れがある。住んだことは一度もないけれど、周遊券を使って何度も渡道し、日本の四島の中で一番最初に国鉄全線走破を達成したのが北海道だ。まだ本州と北海道の間には青函連絡船がメインの交通として大いに機能しており、飛行機嫌い(金銭的な理由もある)ということもあって、北海道に行くのは上野発の夜行列車を使うことが多かった。

 

雪に対する憧れ、ということもあったけれど、SLが最後まで走っていた地であることも大きかったかもしれない。すでに1日に3往復しか走らなくなっていたローカル線沿線の荒涼とした景色や、時刻表には掲載されていない駅があることへの驚き。そんな魅力に取りつかれ、何度も足を運ぶうちに北海道の国鉄に全て乗ることができた。襟裳岬や定山渓など、国鉄が走っていない観光地にまで足を延ばすようになったのは、その後のことである。

 

国鉄赤字ローカル線の先頭を切って廃止されたのは白糠線だ。何もない終着駅で意外に多くの人が降車して驚いたのは、初乗りの頃だったか。二度目に乗車した際はすでに乗車率が下がっていたことを覚えている。もちろん(?)白糠線の最終列車にも乗りに行ったけれど、それはまた別項に譲るとして、今回は万字線である。

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当時、函館本線から延びる盲腸線は数多く存在したが、SLの機関区がある岩見沢駅から万字炭山駅まで走っていたのが万字線である。有人駅が多く、国鉄の入場券を収集している立場としては嬉しい万字線だったが、炭鉱が廃止された時点でその役割は終わってしまっていたのかもしれない。

 

昭和60年3月31日、万字線終焉の日。見たこともないような、ホームに入りきらないような長大編成で走った廃止当日の万字線。残念なこともあった。万字駅だったか万字炭山駅だったか、すでにホームにあるはずの駅名標(板)が恐らく鉄道マニアによって持ち去られていたのだ。

 

どのような世界にも非常識な奴はいる。どうせ明日になればゴミだからとでも考えたのか。自分の私利私欲なのか。屈折した鉄道愛なのか。個人的に鉄道は好きだけれど、鉄道ファン(鉄道マニアという言葉は、鉄道マニアに対して使わないほうがいい)は好きになれず、ライトな鉄道ファン以外と交流したいとは未だに思えない。

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恐らく生涯で数回しか乗車していないが、深く記憶に残っている万字線。簡易なつくりとはいえ、乗車証明書も嬉しい。廃止から34年以上経ったけれど、その記憶と乗車証明書は死ぬまで残ることだろう。(令和元年7月31日)

平成30年2月に公開したYouTube

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昭和58年10月22日。白糠線最終営業日のあれやこれや…

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