ほとんど無意識で行うことがある。車の上にモノを載っけてしまうのである。
買い物からの帰り、ドアを開ける際、購入した荷物を一時的に車のトランクやボンネットやルーフの上に載せることが多い。それは、缶コーヒーだったり、携帯電話だったり、100円ショップで買った軽いモノだったり。もちろん、載せる際には車に傷がつかないよう、そっと置く。
3〜4年に1回くらいだろうか。載せたことを忘れて発進してしまうことがある。一度はペットボトルだった。駐車場から出たときに、軽く「ボン」という音が聞こえたような感覚はあったのだが、気がついたのは車内でペットボトルのお茶を飲もうとした時だった。
自分でも一番びっくりしたのは、スマホを載せた時だ。スーパーで買い物をした。夜だった。いつものように車のルーフにスマホを載せ、車に乗り込むのと同時にそのスマホを回収してエンジンをかける。ルーティンである。当然、その日も同じ行動をしていたはずなのだ。
スマホがないことに気がついたのは、自宅に到着した時だ。血の気が引くという表現がぴったりの状態になった。車内にスマホがないのである。あれ?あれ?あれ?と声を出して探してピンときた。車のルーフの上だ!
恐る恐る車から降りる。あり得ないとは思いつつ、一縷の望みをかけてルーフを見ると……何と! スマホがこっちを向いてにっこりしていた(ように見えた)のである。
勝因は二つある。スマホは、合成皮革製の手帳型スマホケースに入れていた。スマホ単体だったら最初のカーブで「往来が激しい国道上への旅」が始まり、その数分後には完全粉砕されるか、運が良くても道路の端っこに飛ばされたことだろう。すでに夜で暗いから、探しに行ったところで見つけることはできなかったのではないか。また、急発進や急制動、スピードを落とさずにカーブを曲がるなど、乱暴な運転をしなかったことも幸いした。
もう二度とスマホを載せたまま運転しない。そう心に誓ったにもかかわらず「二度目の時」が訪れる。車の上にモノを載せること自体がほぼ無意識だから、なぜスマホを載せたまま車を発進させたのか、その理由なんてわからない。
それは自宅を出た時のこと。いつものように目的地に向かって車を走らせていて、何気なくいつも電話を置いている場所を見たら、あるはずのモノがないのである。焦った。またやっちまったか。すでに数キロ以上は走っている。安全な場所に車を止め、車外へ。ルーフを見ると、そこには合成皮革製の手帳型スマホケースに入ったスマホが悲しげにこちらを見ていた(ように感じた)。「また、やりやがったな」、そう言っているようだった。
意外に落ちないものなんだなと思いつつ、反省の念は深い。三度目がないよう、今では車内のスマホを置く場所を固定し、発進の前にはそこにあることを確認するようにしている。恐らく、ルーフなどにモノを置かないようにすればいいんだろうけどね。(令和元年9月23日)