普通であることが嬉しい。
当たり前であることに喜んでいる。
確定申告のシーズンがやってきた。若干とはいえ、不定期的な収入があるので確定申告の準備をしている。それに必要な源泉徴収票が届いたのだ。
記憶の中ではずいぶん前のことになるが、酷い会社から収入を得ていたことがある。源泉徴収票を出さないのである。催促しても「税理士が〜」などと言い訳をし、最終的にはブチ切れて話を終わらせる。切れたいのはこちらなのに、である。そんなことが数ヶ月続き、税務署や労基署に相談に行った。しかし、「とにかく源泉徴収票をもらって確定申告をして下さい」と言うのみ。確定申告が遅れると不利になるので、善良な一市民として納税したいので、とにかく一刻も早く源泉徴収票を入手したいのだけれど、末端の労働者ができることは会社の責任者に話すことのみ。結局、何ヶ月も遅れてやっと手に入れたのだが、そんな会社がまともなわけはなく、会社として税金の申告もしていない(払っていない)だけでなく、帳簿さえ何年もまともにつけておらず、夜逃げで多くの人に迷惑をかけまくって会社は消滅したのだとか。
兆候はあった。数年間、源泉徴収票が3月15日とか、非常識な時期に渡されていたのだ。それでもヘラヘラしている会社責任者。まさに「ダメだこりゃ」である。
確定申告は面倒な作業ではある。今年から添付資料が減るとはいえ、計算や作業は変わらない。2月中旬までに税務署に提出すれば3月上旬までには返金されるから、今週中には終わらせて出すつもりだ。普通に、当たり前のことをやれるのが楽しい。(令和2年2月11日)