KINGDOM FREEDOMの令名日和

令和時代のブログ(Railway:鉄道、Entertainment:娯楽、Investment:株式投資、Word:一言、 Automobile:自動車)

鉄道初めて物語

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台湾のとある駅にて

初めて電車に乗った日のことは覚えていない。ただ、幼少時は団地の窓から電車が見えたので、それを眺めていたのはうっすら覚えている。

 

初めて新幹線に乗ったのは小学校6年生の時に九州に行った際のことだろうか。乗る前からワクワクしていたのだけは鮮明に覚えている。席に座るだけではもったいないと感じ、トイレに行ってはボットン便所ではないことに驚き、冷水を紙切れのような紙コップで飲めることにも感激して意味なく何杯も飲んだ。

 

初めての寝台列車はいつのことだったか。横幅55センチという子どもでも小さく感じるスペースではあったけれど、独特の車掌のアナウンスや、赤の他人があちこちで歩いたり寝息を立てたりしている空間に新鮮さを感じ、夜汽車の雰囲気を大いに楽しんだ。

 

初めてSLに牽引された列車に乗車したのは日中線(本州で最後までSLによる定期旅客列車が走っていた線区)でのこと。走行音をずっと録音し、写真も数多く撮ったはずだが、今いずこ? 日中線は国鉄全線走破のスタートとなった個人的に記念すべきローカル線でもある。

 

初めての一人旅は中学生になってからのこと。夜はしっかり駅前旅館に泊まったり夜行列車で宿代を浮かしたりしたから、特に怖い目に遭ったり補導されかけたりしたことはない(高校生以降は色々あったが…)。それ以降も25歳くらいまではほとんどが一人旅だった。

 

初めて運転席に入れてもらったのは中学生くらいの頃だったか。今では信じられないことではあるが、当時は、子どもがローカル線を走る気動車の運転席の真後ろにかぶりついていると、たまに振り返った運転士がすぐ横に招き入れてくれることがあったのだ。ほんの僅かな“前進”ではあるが、本来なら永遠に進めない数十センチである。運転士と軽く話をしたり、間近で運転方法を眺めたり、今思えば貴重な時間を過ごせたことになる。

 

初めて汽笛を鳴らしたのもその頃か。数両編成の気動車の場合、間の車両に運転台が付いていることは珍しいことではなかった。混雑した車両から連結器を渡って隣りの車両に移ったら運転台付きの車両で、そのまま運転台の椅子に座って寛いでいたら、何かの拍子に足下にあったペダルを踏んでしまったのだ。「フォーン」という音が、多分、0.3秒くらい鳴った。焦った。知らんぷりをした。

 

初めて飛び込み自殺に遭遇したのは高校生のときだ。運転席のすぐ後ろから一部始終を見た。眼前で起こったことが信じられず未だにトラウマになっている。以前にもブログで書こうとしたが途中でやめた。その後も何回か遭遇しているけれど、本当に鉄道自殺だけはやめてほしい。

 

初めて開業初日の列車に乗りに行ったのは気仙沼線全線開通の日。つまり昭和52年12月11日だ。沿線の歓迎ぶり、賑やかさ、混沌……。目を閉じると情景が思い浮かぶ。国鉄としては最後に開通した地方交通線だったらしい。その後も、京葉線上越新幹線などで開通初日に乗りに行っている。

 

初めて廃止路線の最終日に立ち会ったのは白糠線でのことだ。つまり、昭和58年10月22日だ。北海道のローカル線には何度も乗りに行ったが、白糠線は好きな路線の一つだったから、恐らく生涯で4〜5回は乗っているのではないだろうか。

 

初めて海外の鉄道に乗ったのは台湾でのことだったか。新幹線だったし、大人だったし、何となく覚えている程度で、それほどの感動はなかった。

 

初めてJRの株式を購入したのはJR東海が平成21年2月9日のこと。573,000円×1株だった。JR東日本は2月25日で5,490円×100株。JR九州IPOで当たった(誰でも当たる)。

 

初めてにまつわる鉄道関連のお話でした。(令和2年11月23日)