12月初旬。友達が亡くなった。
恐らく、人生で一番古くからの友達。
その情報はSNSで知った。かねてから療養中で、数年間、いくつもの治療法を試し、痛い思いや苦しい思いをしながら寛解することだけを考えて病院通いや入院を続けていた。しかし、力尽きた。
まだ病気が発覚する前、複数の友達も交えてよく飲みに出かけた。
よく喋りよく笑った。
母として子どもたちを愛し、親の面倒を見、友達と語り、多くの人に愛された。太陽だった。あれだけ大きく深い愛を周囲に与えた人を他に知らない。
病名がわかった後、新たな治療法を試すタイミングに恵まれ、もう少しで普通の生活に戻れそう、というときもあった。
コロナ禍、さすがに飲みには行けなかったし、会うこともできなかった。SNSで繋がり、湿っぽい話はお互いにせず、近況報告程度。
11月になって、久しぶりのSNSでは言葉の様子が少し気になった。「もう頑張れないかもしれない。元気でね」。そんな言葉を投げられかけた。
その数日後、電話がかかってきた。事情があって出られず、「病院だから、またかけるね」。そんな文字が残っていた。
それから3週間。
SNSで死を知った。夜中だった。ソファでテレビを見ながら、スマホの画面に釘付けになった。家族が写真を何枚もアップして、生前のことを感謝していた。子どもたちとともに屈託のない笑顔で写っていた。もう涙が止められなかった。
拭いても拭いても止まらなかった。
まだ若いのに。子どもたちもいるのに。やりたいこと、見たいこと、いっぱいあっただろうに。
だから思う。神なんて絶対にいない。神なんて信用しない。もう少し待ってやれよ。
SNSには返信(投稿)しなかったし、お悔やみの言葉も出さない。
現実を受け入れる気がないからだ。世界が自分のことを騙しているに違いない。
ただ一つ救われたのは、家族に看取られて亡くなったということ。あまりにも悲しいことではあるけれど、家族全員に看取られたのであればまだ救われる。
「男は人前で泣くもんじゃない」。亡き親父にそう言われたのはいつのことか。その言葉をしっかり守り、親父の葬式でも涙は流さなかった。亡くなった後に遺影の写真を取りに行く道中で一人になった車の中で涙が止まらなくなっただけだ。
その言葉はずっと守っている。
だから、今日も人前では普通に振る舞う。
でも、一人になると駄目だ。自然と涙がこぼれてくる。
後悔はしないと決めているけれど、結論は変わらなかったとしても、あのとき、電話で話していれば良かった。きっと言いたいことがあったはずなのだ。
物心ついた頃から「さようなら」だけは絶対に言わなかった。永遠の別れになってしまいそうで、学校からの帰り道でも友達の家に遊びに行った帰りでも飲み会の別れ際でも、その言葉だけは絶対に言わないと決めていた。
でも、今は言わなければならない。自分の信念を曲げても、最低限の礼儀だ。
「さようなら。そしてありがとう」。(令和3年12月12日)